山名輝さん

性同一性障害という「大きな試練」が教えてくれたのは「自分自身の輝かせ方」。「輝(あきら)」という「新たな人生」がスタートしました。

今回は、人々を輝かせることによって、自分自身が輝く天才・山名輝(あきら)さんをご紹介。輝さんがそこに居るだけで、希望の波動が無限の渦を巻き、その渦がご縁を繋ぐ

1つの事を極めて希望の星になる方法もあるけど、希望の与え方は1つだけじゃありません。相手の事を本気で考えた時、色んな角度で希望を与える方法があった方が伝わりやすい

輝さんは、自身の経験から「自分自身のズレ」を感じるセンサーが人よりも敏感。だからこそ、「在り方」の大切さ、そして「受け入れる」ことの大切さも分かり、何よりも、誰よりも、相手に「寄り添う」ことが出来ます。

輝さんと話をすると、1つ1つの言動、感覚、ご縁を大切にしていることが伝わってきます。それって日本人が受け継ぐ「全てのものに神様が宿る」という精神。

1つ1つを大切にする輝さんの笑顔は、それだけで影響力がとても大きい。

笑顔

今回は輝く天才・輝さんのご紹介です。



山名輝さんの現在の活動

輝さんは現在、関わる方々が輝く為のサポート活動をされています。

「サポート活動」の中身は、今はまだ明確ではないのですが、高齢者の方々のサポートが中心

  • 一人で診察に行くのが不安な方と一緒に診察に行って、診断結果を聞く
  • 糠風呂に入りたいと言うガン患者の方の送迎
  • 一緒に薬を取りに行く

など、介護保険ではサポートしきれない部分に関して、高齢者の方が不安を抱えている事を寄り添いきってサポートをして、人生の最後に「ええ人生やった!」と思えるような活動をされています。

また、他の都道府県で活動する方が大阪でイベントなどのお仕事をされる場合に車で案内をする、などのサポートも行っています。

サポート活動

輝さん

高齢者に対する様々なサポート事業はありますが、組織に属してしまうと、時間やルールの拘束が発生してしまいます。でも、実際、高齢者が病院に行く原因って、介護保険でもグレーゾーンの範囲。病院の対処療法では本質的な原因は解決しません

僕は鍼灸師と柔道整復師の資格を持っているため、体を傷めない動かし方などが分かります。日常的な体の動かし方の癖を取ることが本質的な原因だと感じています。

また、日常的に湧いてくる思考や心の問題もあります。「病は気から」という言葉があるように、心が反映して病気やケガが発生している場合もあります。組織に所属し、様々な制限が加わってしまうと、こういった本質的な原因を見つけられない。

だから僕は個人で活動をしています

サポート

すごく面倒な仕事・・・だと感じる方も多いと思います。合理的な方だったら、資格を活かしてさっさと組織に属すなどをした方がお金になる、と思うでしょう。

それに、高齢者の方々は戦争を経験した世代、もしくは、戦争の後に日本を建て直した世代。「心の在り方」「思考の癖」について、「もっとこうした方が生き方が楽だよ」と伝えても一筋縄ではいきません。

「自分の為」よりも「国や会社の為」に生きて下さった世代であり、徹底的に自分を犠牲にしてきた世代なので、社会のしがらみや、固定観念が根強く、自分自身の本音を封じ込めてきました。

だから、「寄り添う」と一言でいっても、さぞかし大変なのでは・・・と僕は感じてしまいましたが、輝さんはこう答えました。

輝さん

体の使い方にしても、「この筋肉が・・・」という専門的な話をしても通じません。でも、「こういう立ち方をするから傷めるんだよ。もっとこうすれば・・・」と、日常のシーンを伝えて上げれば、すんなりと理解して頂けます。

それって相手に寄り添って、日常のシーンを知らないと伝えられませんよね。

心の問題の場合は、「こういう考え方もあるよ」と伝えて選んでもらう。提案はするけど、選択自体に僕は口出しをしないし、ご自身で選ばれたなら後悔はないと思う。

僕は、とにかく「その人がその人らしく生きて欲しい」んです。それが組織では出来ないと感じたので、自分で開拓することにしました。

挑戦

めっちゃ素敵だけど、簡単な事ではありません。

では、なぜ輝さんが、この様な「簡単ではない挑戦」をするに至ったのかをご紹介します。



山名輝さんが挑戦をするワケ

輝さんの紹介をする上で、絶対に避けては通れないのは「性同一性障害」の話

性同一性障害の葛藤

輝さん

違和感は幼稚園の頃からありました。「生きなければいけないから生きていた」という感じ。

その違和感がハッキリしてきたのが小学4年生。の時には、「生きている意味」を探しながら日常の生活を騙し騙し過ごしていたそうです。

僕も生きている事にずっと違和感があり、割と早い段階で「生きている意味」を探し始めたと思っていましたが、さすがに小学4年生で「生きている意味」を明確に探し始めるほど早くはありませんでした。

輝さんに相当な摩擦があったことが分かります。

小学校の運動会のシーンでは、男子のみ参加できる騎馬戦があり、どうしても騎馬戦に参加したかった輝さんは先生とこんなやり取りをします。

騎馬戦

輝さん

どうして男子だけなの?

先生

ケガをする可能性があるから男子だけ。

輝さん

それって「危なさ」だけを考えたら女子も男子も変わらんやん。

先生

一生もののケガをするかもしれないからダメだ。

輝さん

男子だって一生もののケガしたらダメやん。

先生

そういう決まりだから仕方ない、諦めてくれ。

「男子」「女子」という括りがあり、自分が「女子」というグループに入っている事を受け入れるしかなく、それがいちいち自分の存在を否定されているような感覚だったのかもしれません。

の葛藤は中学生になってからも続きます。中学生と言えば「制服」を着ますよね。スカートを履く事に対して、とにかく違和感しかなく、「スカートを忘れた」という言い訳をしながら、ジャージのズボンを履いて生活をしていました。

校では、部活の先生が怖すぎて同じ手は使えず・・・。「女子でもズボンを選択してOK」というシステムだったのですが、「周りからどう思われるんだろう・・・」という思いが勝ち、スカートで生活をしていました。

摩擦

 

かし、それまでは「違和感の正体」には、まだ気づいていませんでした。その「違和感」が明確に分かったのは、以下の2つの体験があったから。

  • ドラマ「3年B組!金八先生」で上戸彩さんが性同一性障害の役を熱演
  • 専門学校で初めて「彼女」が出来る

ドラマ「3年B組!金八先生」での上戸彩さんの熱演は話題になりました。その頃は、少しずつ「性同一性障害」という言葉が認知され始めた頃。ドラマの役によって、「自分も同じなのかもしれない」と考えるキッカケになりました。

して、輝さんは高校卒業後、鍼灸専門学校に通い、そこで初めての「彼女」が出来ます。相手は、女性も男性も「人間として好き」になる方で、戸籍上は女性である輝さんを心から愛してくれたそう。

同時に、「性」についての悩みや、考え方を色々教えてもらいました。

気付き

して、自分が抱えてきた「違和感」を周囲に告白していきました。



全てをオープンにしていく

輝さん

成人式の時に、小学校から友人だった子たちに「性同一性障害」を告白しました。知られたら離れてしまうんじゃないかと不安で一杯でした。

でも「何となく気付いていたよ。あんた見てたら分かるやん。でも、それを必死に隠そうとしてたし、言ってこないならそっとしとこうと思ってた。むしろ言ったことで離れると思われていた事がショックだよ!」と言われ、温かく受け入れられました。

本当に、いい友達を持ったと思いました。

輝さんは、3年制の鍼灸師専門学校を卒業後、さらに3年制の柔道整復師専門学校へ通うことに。

輝さん

面接の時点で「自分は性同一性障害だから男として扱ってほしい」という想いを伝え、学校側はそれを受け入れてくれました。ただ、戸籍上で女性の内は線を引かないといけない事があるから、それは了承して欲しいということを言われました。
クラスメイトにも、すぐに性同一性障害であることを告白しました。古い友人に告白するよりも楽で「それで離れるならそれでOK」というスッキリした思いで居る事が出来ました。

こうして、自己理解が進み、温かい環境によって、ようやく「自分で自分を受け入れること」が出来るようになりました。

輝さん

して、ついに両親へ告白。

輝さん

両親に告白をするのが一番緊張しました。でも、戸籍を変えたいこと、体も男性にしたいということを素直に伝えました。

両親ともに僕の気持ちを尊重してくれました。

ただ、母親からは「体に関しては命の危険も伴うから、そのままで良いのではないか」と言われました。心配をしてくれる気持ちは分かりましたが、僕が僕らしく生きるために必要なことだと伝え、理解をしてくれました。

そして、男性としてスタートする名前を付けてくれました。その名前が「輝(あきら)」です。

関わっている全ての方に理解を得て、2016年、3月に戸籍上が「男性」に変更。28歳の時でした。

「性」と「心」の不一致からくる葛藤は、28年の歳月をかけて、ようやく一区切りを迎えました

山名輝さんの使命を探す葛藤

山名輝さん

輝さんが、高齢者の方に対するサポートに情熱があるのは、自身のおじいちゃん、おばあちゃんとの関係性が影響を与えています。

20代前半までの間に両親の祖父母は他界。唯一母方のおばあちゃんだけが元気な状態。

輝さん

性同一性障害で悩んでいたし、それを受け入れつつある状態でも、祖父母には会いづらかったのが正直なところです。こんな孫だって知って失望されるかもしれないし、合わせる顔がありませんでした。
今思えば僕が勝手に思い込んでただけで、受け入れてくれたと思います。
でも、結局僕の意地のせいで、おじいちゃん・おばあちゃん孝行があまり出来ずに亡くなってしまいました。

唯一生きていてくれたおばあちゃんは病気で入院していましたが、僕が27歳の頃、一時的に自宅に戻れるという事で会いに行きました。すると、僕が子どもの頃に大好きだった春巻きを作って待っていてくれたんです。そんな前のことを覚えてくれていて感激しました。その後、ガンで亡くなったのですが、もっと孝行出来たんじゃないか、という想いが残っています。

このような思いが発端で、今の活動に繋がります。高齢者の方のサポートは、輝さんにとって

  • 今はもう出来ない自身のおばあちゃん・おじいちゃんへの孝行
  • 人生の最後に自分のような「悔い」を残さない

という為の活動。でも、スグにその想いを形にすることは出来ませんでした。

の理由は「自分が何の為に生れてきたのか」が、まだ見えていなかったから。性同一性障害を知り、受け入れ、理解を深めましたが、それはまだ自分の輪郭を知っただけ。

心の内側の統合はまだ済んでいませんでした

輝さん

会社ではトップダウンのシステムが確立していて、自分の意見を伝えても一刀両断。聞いてくれる姿勢が全くなく、「社長の言う事は絶対」という雰囲気。「自分への価値」を疑ってしまう瞬間が多々ありました。

まるで、小学生の頃の「騎馬戦の一件」のよう。「○○でなければいけない」というしがらみに対して、違和感が強かったそうです。

そんな時に2つの大きな出来事がありました。

輝さんの体験

その結果、会社を辞めて「個人事業主」として活動することを決意。

すごく長いストーリーですが、この1つ1つの体験が今の輝さんの行動の原点。

「摩擦の体験」が連鎖し、とても苦しい時期がありましたが、輝さんの人生年表を見ると、それも全て「自分の存在」を認識する為の体験だということが良く分かると思います。

輝さん摩擦

たくさん考え、たくさん摩擦の体験をしたからこそ、輝さんじゃないと出来ないことがあります。それは、今の時代では「合理的ではない」と判断されるかもしれません。

しかし、「豊かさ」の指標が物や金では無くなる「これからの時代」には必要不可欠なこと。

情報が一瞬で拡散する現代において、嘘やまやかしは通用しなくなりました。後ろめたい出来事はどんどん暴かれ、秘密にしておくことは出来ません。

それは「全体の繋がりが濃くなった時代」とも言えます。そんな時代の中で「違和感を取り去り、心から寄り添う」という在り方が、どれだけ必要な事か

間違いなく、輝さんの笑顔には多くの人が引き寄せられ、希望の連鎖を起こし、変革の担い手となると思います。

そんな輝さんの「これから」を最後にご紹介します。



山名輝さんの未来のビジョン

輝さんの「これから」のキーワードは3つ。

  1. あるがままの自分に戻る
  2. 全ての人が「ええ人生だった!」で人生を締めくくる
  3. 伝統・文化を引き継ぐ

ずは、自分自身の在り方を整えていく、ということがポイント。たくさんの「摩擦の体験から、自分の軸や感覚に素直になるという事が大切だと痛感。しかし、とても大きな摩擦だった為、もっともっと「自分らしく在る」ことで輝きが増していきます。

に、「ええ人生だった!」となる為のサポート。現在は、

  • 触覚のアプローチ:鍼灸師や柔道整復師の資格
  • 嗅覚のアプローチ:アロマセラピーの資格
  • 聴覚のアプロ―チ:お喋り

という3方向の「感覚」から、サポートが出来る輝さん。

寄り添うことによって専門的な知識ではなく、日常のシーンから切り取って「改善方法」を分かりやすく伝える事が出来ます。時には施術も出来るし、いい香りによって癒すことも可能。

また、ピース小堀さんとの出会いで影響を受けたことによって、自分との向き合い方、心の在り方についても伝える事が出来ます。

輝さん

僕は、イチロー選手のように1つの事を極めていく、と言うよりも、マイケルジョーダンのように野球もやってバスケもやって、という方が性に合っています。色んな興味があることを掛け合わせながら、皆が「ええ人生だった!」と言えるようなサポートをしていきたいです。

して、おじいちゃんやおばあちゃんの世代と関わることで、その世代の方々が守ってきたものを引き継いでいく活動もしていきたいとのこと。それは日本の文化であり、日本人の精神そのもの。

輝さん

近いうちに淡路島に引っ越すことが決まっています。そこは自然に囲まれていて、たくさんの方々が支え合って生きています。そのコミュニティの一員になり、高齢者の方々の手足となってサポートをしたり、お話を聞いて引き継げるものを引き継いでいきたい。

「助け合い」という日本の精神を引き継ぎ、人々をサポートすることで輝く「希望を伝える人」。閃きの数だけ色んなものが混ざり合い、マイケルジョーダンのように影響力が非常に高い人になっていくと思います。

笑顔が、新たな笑顔の連鎖を生み、新たな時代を切り開く輝さんの活動が、どんな形になっていくのか楽しみでなりません。