色やアートを通じて「寄り添いセラピスト」として活動する福井一美さんをご紹介します。
一美さんの場合は、ただ寄り添うだけじゃない。寄り添い尽くすセラピスト。
相手が望む限り自分の時間を削り、少しでも心が緩むように、許すように。そうやって今まで生き続け、これからもそうやって生き続ける。
生まれる前からそんな生き方を決意してきたかのような、そんな祈りが一美さんの1つ1つの行動や言動から溢れ出ています。
人の心に寄り添う為にはたくさんの体験を味わう事が必要。一美さんは寄り添い尽くし続ける事で、何十人、何百人もの人生を共に味わってきました。
だからこそ、さらに多くの方に寄り添う事が出来る。
自分の事を後回しにして摩擦がない人はいません。当然、一美さんにもたくさんの摩擦がありましたが、それさえも全てを承知の上で1つ1つの体験を重ね、1人1人の出会いを大切にしてきました。
自分自身を表現する事はとっても苦手な寄り添い尽くすセラピスト、福井一美さんの一美さんの想いや祈りを、丁寧に文字でお伝えしていきます。是非ご覧ください。
目次
寄り添いセラピスト福井一美さんの現在の活動
寄り添い尽くすセラピストとしてお仕事をしている福井一美さん。提供しているセラピーのメニューは3つあります。
- 箱庭心理セラピー
- カラーセラピー
- アートセラピー
どれも一般的なセラピー療法として知られていますが、一美さんの本質はセラピーの内容というよりも魂から溢れ出るエネルギーと、寄り添い尽くそうとする心。※本質的な部分は一美さんのストーリーを以下に記載していますのでそこから感じられると思います。
まずは、具体的なメニューをご紹介します。
一美さんが提供している心理療法は、全て心の内側を「共通言語」となるものに表現する方法です。それを元に相手に寄り添い、理解を深め、癒しや許し、受容を提供していきます。
箱庭心理セラピー
箱庭心理セラピーは、砂の入った箱の中に、人、動植物、乗り物、建物などのミニチュア玩具を思うままに置く心理療法こと。
箱庭心理セラピーのお写真
箱庭心理セラピーでは、心の中に秘めてる言葉になる前の想いや意識を表現することが出来ます。
また、そうやって自由に表現をしていく中で自分自身の心の奥底に繋がることが出来たり、今の現状を整理して認識することが出来るようになります。
セラピストは、相手が1つ1つの玩具を置く位置・順番・向きによって、その心を紐解いていきます。その為、セラピストはその過程を丁寧にメモに残していくそうです。

箱庭心理セラピーでは、気の向くままに玩具を置いて頂きます。おもちゃを実際に置いていくにつれて、何かテーマがあるのなら聞いたり、何番目に何を置いたのか、どんな向きなのか、という事を照らし合わせ、体と心がどんな状態なのかを見てきます。
箱庭心理セラピーで利用される玩具はとてもたくさん
この中から1つ1つ選んで置いていく訳ですが、何となく、とか、ピンと来るもの、っという玩具が不思議とあります。
置いてみてとても心がスッキリするもの。
置てみて何か気持ち悪くなるもの。
ただ玩具を置いていくだけなのですが、自分自身の感覚と少しずつ繋がり、色んな感情や思いが出てくる場合もあります。

木だけでも背の低いもの、背が高いものなど何十種類もあります。同じ木でも感じる事は人それぞれ。気を張って頑張っている状態だと、同じ木でも感じ方が変わったりします。
箱の中に自分はいるのか、いないのか。
置きにくい場所はあるのか、ないのか。
それも相手を理解していく大きなポイントになります。
箱庭心理セラピーのお写真
無意識の領域には、言葉になる前の想いが渦巻いています。箱庭心理セラピーによって、その認識できない想いが出てくるのでしょう。
だからこそ、違和感や気持ち悪い感覚が残るなら、それをカウンセリングしながら把握し、「置き直す」ことで許しや癒しが生まれます。
自分自身を認識出来るだけでも大きな癒しになる場合もあります。

ケースによっては10分以上じーっと見つめて、結果的に何も置かない方もいらっしゃいました。置けなくても全然OKなんです。そこから少しずつ気持ちに寄り添っていったり、お話をしていけば大丈夫。
「箱庭」は共通言語になる世界。言葉を話さずとも互いに理解をし合える場所。そこには言葉にならない心の悲鳴や葛藤が溢れ出てきます。
その想いに自分が気づけたとき、忘れていた自分を知ることが出来て統合され、癒されていく。箱庭心理セラピーはそんな心理療法。
箱庭心理セラピーでは、玩具を活用する為、対面でのみ実施しています。
カラーセラピー
カラーセラピーは14本の異なる色を持つボトルから直感でボトルを選び取っていく心理療法。
カラーセラピーで使用する14本のボトル
色って不思議。僕たちの心の様子を色が映し出してくれます。
例えば、赤は情熱的。
青は冷静。
黄色は平和。
そんな風に、それぞれの色によってイメージするものってありますよね。人によって捉え方は様々ですが、色を通して自己理解を深め、気付きや癒し、許しを提供するのがカラーセラピーです。

私はカラーセラピーのセッションをする時にカードも一緒に活用します。色からイメージする図柄が書かれていて、そのカードの中からピンと来る図柄を選んで頂きます。何を選ぶかによって、より具体的な部分に焦点を当てることが出来ます。
カラーセラピーで使用するカード
「赤」という色のイメージは、情熱的、危険、怒り、衝動的、エネルギー、リーダーシップなど、色んなものがイメージ出来ますよね。
複数のカードを見せる事によって、その1部分を切り取ることが出来る、という感じ。カラーセラピーのセッションでは色んなワークがあるのですが、代表的なのはハイヤーセルフと繋がるワーク。
ハイヤーセルフと繋がるワーク
ハイヤーセルフとは自分の魂の高次元の側面のことを指します。
一美さんのカラーセラピーのセッションは必要に応じたワークや、言葉や絵が描かれたカードを使用して、今の心の表現をしていきます。※オンラインでも実施しています。
アートセラピー
アートセラピーは、何かのテーマに基づいて絵を描き、その筆圧や色、表現から心情や悩みを紐解いていく心理療法です。※オンラインでも実施しています。
実際に使用している画材
絵を描いて心理状態を検査するテストは「バウムテスト」や「HTP」など色んな手法が確立しています。

絵が上手いとか下手とかは気にしなくて大丈夫。「絵を描くのが苦手ー!」と言う方もいらっしゃいますが、今の気持ちをそのまま表現して頂ければ大丈夫なんです。
僕は以前、潜在意識コーディネーターという方のセッションで、ずーっとぐるぐるとボールペンを走らせたことがあります。感情の発散に良いみたい。
その時の紙↓
こうやって「絵」とも呼べないようなものを描くだけでも、僕らの意識や感情は徐々に変化します。
「描く」という行為は、すごく自分の意識と密接に関わっているのです。
このように、「玩具」「色」「絵」という3つの仲介物を利用しながら、心を寄り添わせていくのが一美さんの活動。
こうしたセラピーは、潜在的な部分と繋がることが出来て、自分でも知らない自分を知ることが出来ます。そうして気づいていく事が許しを生み、緩み、癒しが生まれていきます。
一美さんは、それぞれのセラピーについて資格を提供する講座を行う事も出来ます。
また、アクセサリーやフラワーアレンジメントなど、物作りの講座もやっています。
では、一美さんがこれらのセラピーを始めるまでのお話をかいつまんでご紹介します。
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寄り添いセラピスト福井一美さんの今までのストーリー
寄り添い尽くすセラピスト福井一美さんの人生の物語。そのポイントは3つ。
- 「人の為」を貫いた母親
- 長女として育った幼少期
- 保健師としての活動
普通、人生で培った摩擦の体験によって自分自身を知り、使命を認識します
人は2つのものがあって初めてものを認識します。「長い」とか「上手い」とか。2つのものを比較して初めて認識できますよね。
先ほどの3つのポイントは紛れもなく一美さんを構成しています。その体験によって摩擦を感じた結果、不調として一美さんの体に症状が出てしまった事が何度もあります。
しかし、一美さんの場合は、最初からその体験を知っていながら、覚悟を持って人生を歩んでいる印象が強いです。
摩擦を感じる事も分かっていた
病気になる事も分かってた。
「それでも私はこの生き方をするんだ」と、固く決意して地球に生まれてきたような。そんな印象があります。では、一美さんがギュギュっと詰まっている物語をご紹介します。
①「人の為」を貫いた母親
一美さんのお母さんは機織りをしていた家庭に育ちました。
そんな環境の中で、お母さんは住み込みで働いていた方々のサポートなどをしていました。大人たちに囲まれた環境の中で気遣いは絶えなかったかもしれません。
また、一美さんのお父さんは8人兄妹の長男。そんな大家族に嫁いだ一美さんのお母さんは、長男のお嫁さんという事もあり大家族のお世話もしていたそうです。
一美さんが3歳の頃には父方のおばあちゃんが他界。一美さんのお母さんはおばあちゃんの分も母親代わりとして活躍しました。
そんな中、父母は家具屋の商売を開始。配達や事務なども含め、お母さんは身を粉にして働いていたそう。

家族のお世話と商売。本当に自分の時間がない中で、人の為に動き続けていた母親でした。
お母さんの姿を見続けた一美さんは、当たり前のように「人の為に」が行動の原点となりました。
②長女として育った幼少期
一美さんは妹と弟がいる3人姉弟の長女として育ちました。

幼い頃「妹たちは親と一緒に居れるのに自分だけなぜ保育園に預けられるの?」という不満があった事を覚えています。
そんな不満を感じながらも、下の子の面倒を見ながら父母が始めた家具屋の商売を手伝い、さらには父方の祖父のお世話に奮闘。片道4キロの学校に通いながら、毎日のようにご飯の支度をしていました。
まるで一美さんのお母さんのような姿。

商売をしていたし、母方の実家は僅か100m程の距離にあったため、たくさんの大人達、親戚たちが家に行き来していました。私はそんな大人達を観察しながら暮らしていました。
周囲をよく観察していた一美さんは、多忙な中でも笑顔を振るまい、人気者でした。田舎という事もあり、散歩に出たら近所の人が声をかけてくれたそう。

それでも両親は「長女だから手伝って当たり前、勉強もして当たり前、家事やって当たり前」という感じでした。
中学校はソフトボール部に入部。1年の中で休みなのはお正月くらい。後輩は全国大会に出場するような強豪でした。練習と家業の手伝いと家族のお世話。そんな中でもお弁当は自分で作り、成績が下がったら怒られる。
昔の厳しい家庭だったら「当たり前」と言われるような環境かもしれませんが、この日々を体験するのは簡単ではありません。
次第に一美さんの中には、良い姉・良い生徒・良い子でいないといけない、という観念が根付きました。これは大人になると、良い妻・良い母・良い嫁・良い保健師(一美さんは卒業後、保健師として働く)でなければいけないという観念に変わり、ずっと一美さんを縛り付けていました。
③保健師としての活動
中学の修学旅行中に祖父が脳卒中になり、自宅に「保健師」が訪問することになり、そこで初めて「保健師」という仕事があることを知りました。
この出会いがきっかけで一美さんは保健師を目指す事に。
保健師という仕事、あまり聞いたことがないと思いますが・・・
保健師は「保健指導に従事することを業とする者」とされています。例えば健康診断を受けた後で、「毎日の暮らしに不便はないかどうか」「体のことで心配はあるか」といった相談にのってくれる方がいます。このような相談にのったり、生活指導をしてくれたりする方が保健師です。
保健師はこのように個人の健康相談にのったり、生活改善のためのアドバイスやサポートをしたりするほか、「企業の従業員」や「地域住民」といったコミュニティ全体の健康を推進していくという働きも担っています。
引用

私は田舎に住んでいたので、保健師は地域一帯の何でも相談屋のようになっていました。保健師よりも理学療法士になりたかったのですが、父の推薦や町からのラブコールがあって目指す事にしました。
一美さんは、看護大学の看護科と保健科で勉学に励みましたが、そこで心理学と出会い、今の活動に繋がっています。

その当時から「箱庭心理セラピー」という言葉を目にしてとても興味をひかれていました。今思えば「自分との対話」「自分へのカウンセリング」をする為に興味をひかれて勉強をしていたのかもしれません。
看護科での初めての実習は「精神科」だったのですが、そこでの体験も非常に興味深かったです。
通常、精神科は「答え」のようなものが見つかりにくく、とても大変な病棟と言われています。しかし、「君は僕たちを監視しておく役なのか」という患者さんからの言葉が、一美さんの興味をかきたてました。
「なぜその一言を言われたのか」を考え、自分の行動を思い返してみると、とても勉強になったそうです。

その一言は厳しい言葉ではあったのですが、この出来事の流れをノートに書き起こして俯瞰する事によって、寄り添う、見守るという姿勢を勉強させて頂きました。
その後は保健師として「田舎地域の看護師役」を担いました。
子育てに奮闘していたころの一美さん

田舎の保健師は「地域の看護師」。妊娠から、看取りまでの相談や、教育・相談・指導・訪問なども行いました。
私が勤めていたのは、小さい田舎だったから目が行き届きすぎてしまい…家庭でのトラブルや学級での問題がすぐに耳に入ってきて、休みも電話が鳴りやまないような状態でした。年末年始も様々な問題の対応するほど。
寄り添い尽くす一美さんにとって保健師の体験は、様々な人生を疑似体験するようなものだったのだと思います。
ここでは書けないような壮絶な現場を幾度となく目の当たりにして、当事者の方々に寄り添ってきた。だからこそ、寄り添いセラピストとしてたくさんの方の心のゆとりを生み出す事を仕事にしています。

保健師を通して色んな方の人生を経験しました。中には、私の力ではどうにもならない事もありました。それでも話を聞くことは出来たので、出来る限り話を聞き続けました。
有難いことに夫は理解を示してくれていて、私が何時間も話し込んでいる時はそっと家事や育児をしてくれて、とても助かりました。
保健師を退いた今でも、悩みを抱える方のお話を朝から伺い、寄り添い続けています。それは全て奉仕の心で行っている事。
もちろん、そこからセラピーのセッションになればお金を頂いて提供しますが、圧倒的に寄り添う為に捧げている時間の方が長い。
なぜそんな事をしてるのか・・・それは当然、皆が幸せになる為。自分らしさを取り戻し、皆が豊かさを手に入れる為。
全てを受け入れ、苦労をいとわない一美さんの姿を見ていると、マザーテレサさんの姿のように思えてきます。諸説はありますが、マザーテレサさんがもしも身を粉にして人の為に動いていた方だったなら。きっと一美さんのような人だったのだと思います。
お子さんとの一枚
しかし、心と体への負荷、疲労は蓄積します。
それが爆発するように何度も何度も一美さんは不調をきたしています。
32歳の頃には急性膵炎で3カ月入院。もう「良い人」でいることを辞めようと決意しながらも、なかなか力は抜けず・・・。胃や子宮、腎機能など、色んな箇所が不調をきたしました。

役所が合併する事になった際には心身くたびれるほど働きました。その結果、体調を崩し、処方された薬の量は徐々に多くなりました。ついには呼吸器疾患となり酸素を吸引しながら働いていましたが、そんな中、実家の母が癌になり、同居の義母は認知症に…。
介護と仕事をする中で自分の体調が限界を迎え、母と義母の介護に専念をする為に50歳の時に早期退職となりました。
早期退職後は、たくさんの方の相談を受けながらも、元々興味のあった心理学やセラピーの勉強を進め、数々の資格を取得しました。それが現在のセラピストとしての活動に繋がっています。
寄り添いセラピスト福井一美さんの未来
普通、ここまでの人生を過ごし、一美さんが抱いているような想いに至るのか。僕には想像も出来ない領域ですが、それでも一美さんは今もなお多くの方を救う為に前に進んでいます。

未来のビジョンというか、今まで通り、これからも24時間営業でやっていきます。笑顔が見たい。癒したい。そして、楽しさのその先を見て欲しい。
女性はおばあちゃんになっても女性であり、お母さん。何歳になっても女性に戻れる場所、ちょっとでも話に来る場所を提供し続けたいです。
色んなセラピーを提供出来るようにはなりましたが、その目的は、その人らしさを取り戻し、その人自身の人生を全うしていく事。
それは宇宙が、地球が、全体が望んでいる未来。
それをキャッチしたかのように池田さんが一美さんのエネルギーを感じて制作したイラストは以下のような感じに仕上がりました。
池田良平さんが
一美さんのエネルギーを感じて
作成したイラスト ↓
このページは「200人の物語を紡ぐチャレンジ」に基づいて制作しています。
このチャレンジは、それぞれの方の物語を「文章」と「絵」と「音楽」で表現するもの。お一人お一人に1時間半~2時間ほどインタビューを行い、「人生」という「物語」を1つのページにギュッと凝縮しています。

セッションの日のイメージが頭から離れず、次の日もまた次の日も、このイメージでした。
感じることを大切にしてますので、何故こう描いたか分からないんです(^^;
もう一度見直すと、一美さんの大きな愛で、受講される皆さんが喜びに満ち溢れているイメージで描けてるような…(^-^)
そんな未来を実現する為ならば、お金も時間も捧げ切る。寄り添いセラピスト福井一美さんの存在は、全体にとって大きな影響を及ぼしていると思います。
誰もが真似できる事ではない。
でも、誰もが一美さんのように生きることが出来れば、この世界は大きく変わるでしょう。それは新たな文明、新たな時代の幕開けになる。これからの一美さんの活動の影響力は、とても大きい。
是非、そのセッションを受けてみて下さい。