田内敏男

今回はスポーツトレーナーの業界で新しい扉を開き続けている田内敏男さんをご紹介します。

社会的な「良さ」ではなく、自分の中に確かな芯を持つ。例え多くの問題を抱えている環境でも「面白い」と感じたら飛び込み、整える。

「今まであった土台」をさらに新たなステージへと上げていく田内さんにとって、一般的な基準は基準でしかなく、田内さん独自の視点がある。

時にはそれが疎ましく、敬遠される場合もあるかもしれませんが、田内さんをよく知るとそれは愛そのもの

60歳を越えた今、田内さんが歩んできた道のりには教え子がたくさんいらっしゃいます。ご自身が学び、築いてきたものを次の世代へと継承すると同時に、もっと自由に大きく羽ばたこうとする姿は、まるで少年のよう。

全ての経験を昇華し、次の世代へと繋げようとするトレーナーの重鎮・田内敏男さんをご紹介していきます。

田内敏男さんの活動

田内さんは、あらゆるスポーツの体作りをサポートする技術者・トレーナーをされています。

田内敏男さん

トレーナーとはボクシングでは元々、トレーニングをする人だから、トレインする人=コーチの事です。

でも、今は何でも肩書きに「トレーナー」をつけます。栄養の事を施す人はニュートリショントレーナー、医学的な事を施す人はメディカルトレーナー。アメリカのアスレチックトレーナーは、選手の怪我や健康管理に関する全般、つまり、救急処置からテーピング、アイシングをはじめ、ケア、怪我の予防及びリハビリ・トレーニング等を担当する人につけられた名称です。

今は、医療資格を持っていなくて、何となく体育的な事を扱うだけでも「トレーナー」という言葉を使う風潮が出てきています。また、現場での経験がほとんど無くても「トレーナー」と名乗る方は非常に多いです。でも、学問から入ってしまうとえらいことになる。

机上の知識だけではなくて、自分がして見せる事が出来るかどうか、運動を組み合わせられるかどうか。経験値と言うバックボーンが多ければ多い方が良い、そういう事に気付いて欲しいです。

お医者さんの「臨床」と同じように、隠れたものを見つけられるか、という所がトレーナーの腕の見せ所。

正直、テーピングの巻き方はテキストに書いてあります。社会人の勉強はカンニングOK。その分野に関して自分よりも知っている人に電話を掛けたって言い。それをかき集めて現場でどうするのか、それが大切です。

田内さんは、細分化された「トレーナー」という仕事とひたむきに向き合い、総括的にスポーツ選手の身体のケアや身体の作り方を提案しています。

田内敏男という人物が今まで何をしてきたのか・・・というのは田内さんがトレーナーとして関わり、身体づくりについて指導をしてきたチームを見て頂ければ一目瞭然です。

【田内敏男の指導歴一覧】※2021年3月現在



これ迄に指導を担当した主なチーム、団体とその成績は以下の通り。

■大相撲武蔵川部屋(1989~2000)
先代武蔵川晃偉親方(元横綱三重ノ海)の要請を受け、力士に対するトレーニング指導を担当。在任中に横綱武蔵丸、武双山ら3人の大関、和歌乃山ら2人の小結が誕生。

■シャンソン女子バスケットボール部(1992~1996)
在任中は、リーグ戦、全日本総合選手権ともに全て優勝。

■女子バスケットボール全日本代表チーム(1993~1996)
1994年アジア競技大会(広島) 銀メダル
1996年アトランタ五輪7位入賞

■トヨタ自動車ラグビー部(1995~1996迄の2シーズン)
低迷久しいチーム再建策の一環として指導を要請される。
1995年関西リーグ 優勝

■帝京大学ラグビー部(1997~2008)
岩出雅之監督の要請によりチーム強化に参画。後に大学選手権九連覇へと繋がる礎を築く。

■東芝男子バスケットボール部(1997~2012)
1997年JBLトーナメント優勝
1997年日本リーグ 準優勝
1998年日本リーグ 準優勝
1999年日本リーグ 優勝
2000年全日本選手権 優勝
2003年スーパーリーグ 準優勝
2004年スーパーリーグ 優勝
2006年全日本選手権 優勝

■JR東日本野球部(2005~019)
2005年より堀井哲也監督(現慶應大学野球部監督)の要請によりチーム強化に携わり、トレーニング部門を担当。
2005年スポニチ杯 優勝
2007年都市対抗 準優勝
2011年都市対抗 初優勝
2012年都市対抗 準優勝
2012年日本選手権 準優勝
2013年都市対抗 準優勝

■JFE東日本野球部(2018~現在に至る)
2019年都市対抗 初優勝

※ 上記以外に直接担当したチーム、及び工房スタッフ(弟子)の指導実績については、JPFストレングス工房HPの「会社案内」を参照。

 

田内さんは、数々のチーム(時には代表チーム)に対して「トレーナー(ストレングス担当)」という立場で、選手やチームに指導を行ってきました。これだけのチームにトレーナーとして呼ばれる事を考えるだけでも、田内さんがトレーナーとして重鎮と呼べる1人だという事はお分かり頂けると思います。

田内敏男さん

私の年齢になっても現場で指導を行っている人は、他には殆ど見当たりません。私もそろそろ自由になりたいところですが…(笑)

そんな田内さんが、現在されている主な活動は

①完全予約制のジム
※現在は相談役として関わっていますが、今後はその全てを教え子たちに引き継ぐ予定。ご自身はトレーナー業界をより大きく認知されるものへと押し上げようとしているのですが、それは後述します。

②海外選手の受け入れ

③直接的な指導

それぞれご紹介します。

①完全予約制のジム

完全予約制ジム

僕は普段ジムなど行く事は無いのですが、それでもフィットネスのジムが「完全予約制」ばかりではない事くらいは分かります。

一般的に「完全予約制ジム」と聞いてイメージするのって、個室だったり、パーテーションで仕切っているような場所。いくつものブースみたいな場所があって、そこでトレーニングを行うようなイメージがあると思います。

そうじゃないと、回転率が悪く、利益を考えると効率が悪いと僕なら思います。

しかし、田内さんが運営している完全予約制ジム「ストレングス工房」が提供しているのは、予約したお客様が施設の全てをパーソナルトレーニングとして利用できるスタイルを採用しています。※1対1でもグループでも可能。

なぜ、そのようなスタイルを採用しているかというと、「スポーツ選手の為のトレーニング」に特化する思いが強いからです。「ストレングス工房」では、ただ鍛える、という訳では無くて、パフォーマンスを向上する為の身体づくりを指導しています。

スポーツの為のトレーニング

懇切丁寧にスポーツ選手の為のトレーニングをしているという事は、どのようにすればパフォーマンスを向上させるウェイトトレーニングが出来るのか、という身体作りのサポートの視点からも学ぶことが出来る場所でもあります。

その為、「ストレングス工房」には、野球、ラグビー、バスケットなどの球技系のスポーツや、総合格闘技、ボクシング、相撲などの格闘技系など様々なジャンルのスポーツ選手が利用していますが、同時に、理学療法士やトレーナーなど、身体づくりやケガからの復帰をサポートする職業を志す学生達も数多く利用しています。

それは、「ストレングス工房」が原理原則に則った身体の指導をしているからに他なりません。

ストレングス工房

田内敏男さん

1対1であっても、1対6であっても、しっかりと指導をする。教習所の様なイメージ。脚力を鍛えたいのであれば、それに応じたプランがあるから進めていく。付きっ切りではない場合もありますが、それを「みる」。

「みる」という言葉は色んな捉え方があります。
危険が起きないように「みる」。
指導をする、教えるという意味での「みる」。

「ストレングス工房」」は、そういった「みる」事をするジムです。

プロの選手も通っていますが、大学生の選手たちはきちんと指導を受けられる場所が無いという事で通ってくれる選手も多いです。

トレーナー志望の子たちはなかなか現場が見れません。学校で習得したものは机の上の理論に過ぎない。「ストレングス工房」ではサンプル的にたくさんの選手が通ってきてくれるので、第一線で活躍するトレーナーがどのような指導を行うのか、また、どのようなトレーニングを提供するのかを見て学び、体験する事が出来ます。

このお話だけでも、田内さんが「トレーニング」というものをあらゆる角度から見ている事が分かると思います。「ストレングス工房」は、

  1. プロの選手がより良いパフォーマンスを発揮できる為の身体づくりをする場所でもありますが、
  2. 同時に、学生の選手がプロの現場でも通用する身体の作り方を学べる場でもあり、
  3. なおかつ、身体づくりをサポートするトレーナー志望の学生も「現場を見て学ぶ、実際にやって学ぶ」ことが出来る場

という3つのベクトルが結集している場所。

田内さんがおっしゃっている「教習所」という言葉は、この3つのベクトルに当てはまると思います。なぜ、そのような教習所と呼べる場所を作ったのか。そこにはトレーナーとして活躍をされてきた田内さんの思いが込められています。

田内敏男さん

スポーツトレーナーとして活動をしてきて、たくさんのチームを指導してきましたが、その中でトレーナーという職はとても肩身が狭く、社会的地位が低いものになっている様に思います。

その為、トレーナーの現実・現状を知ってもらって、「こういうトレーナーになりたい」という明確なイメージを若い人たちに描いて欲しい

また、実際の現場でトレーナー自身が体を動かして経験値を積む場所は非常に少ないのが現状です。そういう場を提供したい。

ゆくゆくは大資本に取り込まれるのではなくて、社会的地位、サラリーを生み出し、トレーナーの、トレーナーによる、トレーナーの為の組織を作って行きたいと私は思っています。

この辺のお話が、今後の田内さんの展望に関わって来ます。※後述します。

 

「ストレングス工房」ではジム内での指導だけではなく、外に出向いてチーム単位でもトレーニング指導を行っています。

また、田内さんは「ストレングス工房」だけではなく、教え子たちが運営する施設で相談役として活躍されています。その1つが「有限会社悠々自適 押上studio」。

押上studioでは、主に働き盛りの世代(30代~60代)を対象とした、健康増進・体力向上をサポートしています。

押上studioでの「工房トレーナー体術(柔術)」の指導風景。
向かって右側が押上studio代表の平井トレーナー。

押上studioは「工房トレーナー体術」の他、
アスリート躰術、太極拳、座禅、ストレッチなど、
様々な教室に利用されています。

身体というのは、すごく素直なツールです。

殴ったら痛いし、火を当てたら熱い。

心の場合は、それぞれによって反応の仕方が異なります。「幸せ」という言葉を聞いてイメージする事って、必ずしも隣の人と同じでは無いですよね。

しかし、身体の場合は「AをしたらBになる」という公式が成り立ちます。※もちろん個人差はあるのでその微調整は必要です。

その為、身体の事をよく理解し、実体験を重ねていけば、スポーツのパフォーマンスにも健康にも適切な指導が行えます。ただ、身体を熟知し、この宇宙の法則を理解している必要があります。※法則というのは、物を落とせば重力が働いて地球の中心に移動する、みたいなすごくシンプルなものです。

身体のあらゆる要求に応えようと、探求し、もがき続ける・・・それは果てない道のりかもしれませんが、そんな身体のプロフェッショナルを目指し進み続けているのが田内さんなんです。

②海外選手の受け入れ

田内さんは、2020年12月からナイジェリアからの移住選手の受け入れを始められました。そのきっかけは、息子さんが知り合った代理人の方とお話をした事。

九段下ストレングス工房に通う
ナイジェリアの選手たち

田内敏男さん

代理人の方は、ナイジェリアでナマズの養殖をしていた方なんですが、とにかく「ナイジェリアの為に何かをしたい」という思いで溢れていました。
その代理人の方が、たまたま才能あふれる選手と出会ったところから日本での受け入れが始まりました。今はまだ学生の選手たち。今後、プロのドラフトに引っかかるかどうか、1人1人の選手とコミュニケーションを取りながらサポートをしようと思っています。

時間に余裕がある訳ではありませんでしたが、代理人の方と「入口を世話したなら出口までしっかり面倒を見て欲しい」と話をして、それを了承して下ったので引き受けました。スポーツ選手はケガや活躍への評価が付いて回ります。それによっては、もしプロに入れてもすぐに職を無くしてしまう場合があります。それを放ったらかすようであればやりたくないと思いました。

今はお金などは度外視して、このプロジェクトに心血を注いでいます。基本的に、お金よりも「面白いかどうか」ががモチベーション。

選手たちは裸一貫で日本に来て、自分の才能にかけています。そこまでの覚悟をして自分の才能にかけてみようとしているのは非常に面白いチャレンジ。また、トレーナーという職業はチームのサポートに入ると個人への選手への評価はされません。そういう面でも、このプロジェクトはやりがいが大きいです。

めちゃくちゃ親切な感じがしますが、自身の経験上、親切心で動くと良い方向に事は傾かないそう。その為、「自分が面白いと感じるかどうか」を指標にして行動されています。

それは、自分がそのチャレンジに興奮するかどうか、ということ。

まず、自分が楽しめること、没頭できること。それが「今を生きる」という事なのでしょう。これが、数々の経験をされてきた田内さんの流儀。

③直接的な指導

田内さんは、1996~1997年にかけて、体調不良が続いたこともあり直接的に指導をする現場を制限されました。2021年4月現在、直接的に指導をする場所は2つだけ。その場所は、JFE東日本野球部と慶應大学野球部。

選手に対してストレングス・トレーニングを直接指導する傍ら、監督やチームスタッフと共に練習・トレーニング計画、コンディショニング、ケアから食事に至るまでの一環体制の構築に尽力されています。

田内敏男さん

スポーツ選手はケガをした場合、ケガを治したら終わりでは済みません。そこから競技へ復帰して、第一線で活躍をしていかなければいけません。
その為には、特定の技術者だけが関わるのではなく、色んな分野の人が関わり合い、トータルでコーディネートしていく必要があります。
でも、トータルで見ることが出来る人は少ない。机上での知識だけでなく、現場で培った経験が無いと出来ません。
そういうマネジメントを現場でさせて頂いています。

田内さんは「トータルで選手の身体をケアし、最高のパフォーマンス発揮できるようにする」という事への意識が非常に高いです。

腹筋バットで選手(投手)の腹部を強打したら、
バットが折れてしまった貴重な映像です。ヤラセなし!

それは、たくさんの現場を回ったことによって痛感したこと。

今後、その想いを、より形にしていく展望を思い描かれています。トレーナーへの熱い想いがある事も触れましたが、そんな田内さんが掲げる未来への想いをお伝えします。



田内敏男さんが掲げるこれからの展望

田内さんは、2021年の6月頃を目処にJPフィットネスの代表取締役を退任する予定です。モットーは「さらに自由に!」を掲げています。

そんな田内さんが、未来に形にしていきたい事は「トレーナーの、トレーナーによる、トレーナーの為の組織」を作ること。

田内敏男さん

トレーナーという地位は、皆さんが考えるよりも物凄く低いです。スポーツ業界では、一言に「トレーナー」と言っても色んな人がいます。
プロ野球選手を目指していたけど、ケガをして引退。だけど、トレーナーくらいならやって行けると思って専門的な場所でちょこっとだけ学んだような人もいるし。一方、セレブのパーソナルトレーナーみたいな事をしている方もいらっしゃいます。

色んな人がいるけど、全部トレーナー。「お金を頂ければどこでも引き受ける」という様な風潮は後を絶ちません。

でも、1つの技術を身に付けて、それを提供すると言うのは大変な事です。

トレーナー側が、「この選手を、このチームを見たい」と言えるような組織。そんなトレーナーの、トレーナーによる、トレーナーの為の楽園を作れたら最高です。それは組合なのか会社なのか、形は何でもOK。

一言に「トレーナー」と言っても色んな人がいる。

どんな分野でも専門職と呼ばれる分野だと「ピンからキリまでいる」というのが現実だと思います。それなのに、一緒くたにして同じ呼び方をしている為、少し残念な思いを抱かれた経験をした方もいらっしゃるでしょう。

だからこそ、田内さんが掲げる「トレーナーの為の組織」と言うのは、この職業と本気で向き合っている人たちが日の目を浴びる場所であり、それぞれの特性を本気で活かす事が出来る場所なのだと思います

そして、同時にスポーツ選手たちが100%以上のパフォーマンスが出来る様にサポートをする場所

パフォーマンスを発揮

トレーナーという職業は非常に細分化されています。

管理栄養士もトレーナーだし、球場の中で選手にボールが当たった時にスプレーで冷やす人もトレーナー、ケガのリハビリを指導するのもトレーナー、ウェイトのトレーナーもいるし・・・そう考えるとトレーナーってすごく微妙な世界。役割が分担され過ぎているんです。

でも、全ての役割を理解し、それを束ねる人は人は殆どいない。

チームを運営する最高責任者は監督。戦術を考案したり、局面を読む能力は必要不可欠ですが、選手の身体やケガのケアなど、身体に関する事の細部までケアできる監督は極稀だと思います。※田内さんはそんな極稀な監督と出会い、ご自身の道を探求し続ける事が出来ました。

でも、試合で最高のパフォーマンスを発揮しようとする選手たちにとって身体は資本。土台中の土台。

だとしたら、監督を始めチーム運営をする立場の人と、身体をケアする技術者集団が情報を共有し合ったら素晴らしいと思いませんか?

情報共有

田内敏男さん

現状はフィジカル、メディカル、栄養に関するスタッフ・技術者はたくさんいるけど、それを束ねて監督と情報を共有する人は殆どいません
だからこそ、スポーツに関わる、スポーツをサポートする技術者集団を作り、その技術者集団と各チームを繋ぐ役割を担いたいです。ある時は監督のアドバイザーになったり、若手のコーチにアドバイスをしたり。

それぞれのチームの状況によって、どんなケアが必要なのかは違います。必要とされる技術者を育成し、選手やチームを観察し、必要な技術者を送り込む事が出来れば、技術者の社会的地位も向上します。

「技術者」というのは、だいたい裏側で活躍していて表舞台には出てきません。僕は表現の仕事をさせて頂いていますが、やはり主役はお客様や商品やサービス。誰が作ったのか、という部分にはあまり焦点が当たりません。

でも、裏方で動く人がどれだけ丁寧に仕事をするのか次第で、表で活躍する人のパフォーマンスに影響を与えます。

 

例えば、宇宙に飛ばすロケット。どうしても焦点が当たりやすいのは宇宙飛行士ですよね。もちろん宇宙飛行士は、宇宙飛行するにあたって過酷な訓練と緻密な知識が必要です。

しかし、あんなに大きなロケットを構成している「小さなネジ」が一本でも外れてしまうと、宇宙飛行の命に関わる重大な問題となります。でも、その小さなネジを誰が作ったのか、という部分に焦点が当てられる事は少ない。

技術者は自分の役割を理解し、それがどんなに小さな事でも魂を込めて作業をします。その1つ1つが連動していく事で大きなプロジェクトが完遂されます。

技術者

田内さんの挑戦は、スポーツ業界で選手の身体をサポートする技術者たちの地位を向上させる事に繋がります。そして、それは結果的に日本という国のスポーツのレベルを向上させることに繋がります。

田内敏男さん

日本はスポーツ後進国です。アメリカでは野球を指導する人は野球を研究して突き詰める。
でも、日本では社会科の教員とか、まずは名目上、教員にならないといけません。本業はバスケットなり柔道なりしかやっていないんだけど、名目を立てないと指導出来ないんです。そうしないと本業が出来ないのが今の日本です。

例えば・・・

スポーツ社会学×テニス
スポーツ心理学×水泳

みたいに、学問的な肩書きが必要なんです。

でも、経済学部の教員になるのに、水泳できるかなんて聞かれることはないじゃないですか。それだけスポーツの指導者の肩身は狭い。その中で陸上の技術指導、水泳の技術指導が行われる訳ですけど、トレーナーはその選手たちの身体を「みる」仕事です。

その為、専門スポーツ技術の指導を行う人よりも、もうワンランク低い。だから、プロの世界では顎で使われる現状があります。

「トレーナー」という役割分担が細分化されている技術者集団の地位をもっと向上させ、技術者は持っている能力をさらに発揮出来るようにする。それが結果的に選手のパフォーマンスを向上させます。

チーム運営と、選手の身体のケアをサポートする技術者の架け橋となる。

情報共有

これが田内さんが掲げる未来への想い。まさに新しい扉を開けていく男、という印象です。

ここからは、どうして田内さんが今の活動に至り、未来への想いを抱くまでになったのか・・・今に繋がる過去のお話をご紹介します。

今の田内さんが出来上がる重要なポイントがありますので、是非ご覧下さい。

田内敏男さんの物語

田内敏男さん

還暦を過ぎて、今までのご縁や出会った人の全ての影響が無かったら、今回の様なインタビューを受けてページを制作して貰うような機会は無かったと思います。

僕はこの言葉を聞いて泣きそうになりました。インタビュー中、田内さんは何度も「ご縁」や「感謝」「祈り」という言葉を口にされていました。

起こった出来事は、全て体験でしかありません。その出来事に「良い」「悪い」という判定を下しているのは人間であり、人の数だけその判定は異なります。その為、出来事そのものに執着するのは得策ではない。

全ての体験を自身の成長の糧とするのか、重りにするのかは自分次第。

先ほどの田内さんの言葉には、その全てが凝縮されているような気がして、どのような態度で人生を歩んでらっしゃるのかが伺えました。

田内さんの人生は濃く、長い。その為、このページで紹介できることはごく限られた内容です。以下の3つのポイントに絞ってお伝えしていきます。※この他にもたくさんの分岐点を与えてくれた出会いはあったのですが、あまりにも長くなりすぎるので割愛いたします。

  1. ガキ大将の幼少期
  2. アパート全焼が背中を押してくれたこと
  3. 祈る事を知った息子さんの白血病

このそれぞれの体験は、田内さんに大きな気付きを提供したように感じます。

それぞれの体験を通して「自分はこう生きたいんだった」という事を思い出させてくれているような、そっと寄り添っているような。だからこそ、このたった3つのポイントだけでも、田内さんがどのような思いで人生と向き合われているのかが分かると思います。

では、1つ1つのポイントを紹介します。

①ガキ大将の幼少期

ガキ大将

田内さんは、イメージ通り(?)ガキ大将でした。笑

「野球するぞー」と少し声を掛けたら、ずらーっと仲間が集まってくるようなクラスの中心的な人物。

田内敏男さん

腕っぷしが強かったこともありましたが、いわゆるガキ大将で内弁慶でした。

幼少期にガキ大将になって全てをコントロール出来た経験をしたら、すごく調子に乗ってしまいそうな気がします。だから、そんな田内さんから「ご縁」とか「感謝」というワードが出てくるのは、すごく意外な感じがしました

さぞかし、何十年もかけて幼少期に経験した「我の強さ」を叩かれ続けて身に染みたのかな・・・と思いましたが、田内さんの場合は中学生の頃に頭1つ抜けたようなバランス感覚が合ったように思います。

そこには、小学生高学年の頃に担任だった恩師の影響を受けています。

田内敏男さん

小学生の頃は、すごくバカな子どもだったと思います。でも、高学年の頃に担任となった先生から「リーダー」として周囲をまとめるように厳しく指導・しつけを頂きました。そのおかげで、ただ調子に乗る事は無かったように思います。
私には、分からない事を聞けるような兄や先輩、恩師などが常にいました。だから、ボスになったと同時に師に憧れる自分がいました。

ガキ大将として周囲をまとめて統率していると、当然目立ってしまいます。それを良く思わない先輩もいて、数人に囲まれて締め上げられた事もあったそう。

当時はムキになった事もあるでしょう。しかし、田内さんは幼いながらも、自分よりも強い相手がいる事を受け入れていました。ここが、ただ喧嘩っ早いだけの人と違うところ。

結果的に中学生の頃には周囲を斜に見るような大人っぽさを持つ学生に育ちました。

田内敏男さん

中学校の頃には、1人1人を口説き落としたり、辞めないように説得したり、練習環境を良くするために上と掛け合ったり、チームの為に尽力しました。
それがチームプレイの醍醐味というか、関わり合う事、協力する事の素晴らしさなんですが・・・次第にチームの調整に疲れてしまい1人で出来る事を模索し始めました。それがトレーナーという道の始まりだったのかもしれません。

  • 恩師がいたこと
  • 人によって自分が変わったという認識をしていたこと
  • 師に憧れがあり、上には上がいる事を認識していたこと

環境に恵まれ、さらに物事を分別する目があった事が、田内さんを大きく成長させました。

奥さんには「臆病なのか、大胆なのか、どっちなの?!」とよく言われるそうですが、1つ1つの体験を楽しみ、等身大の自分を受け入れているからこそ、バランス感覚が磨かれているように思います。

その土台を創ったのが幼少期の体験と観察眼。

②アパート全焼が背中を押してくれたこと

田内さんは、大阪府立花園高校を卒業し、1年間の受験浪人を経て早稲田大学商学部に入学しています。そして、4年生の頃に住んでいたアパートが全焼する事故に見舞われます。

亡くなった方も出るような激しい火事だったようです。生死を分けるような際どい体験でしたが、この体験が背中を押してくれた事が2つあります。

1つ目は、トレーナーへの道。
2つ目は、結婚。

アパートが全焼した後、早稲田大学第二文学部に学士入学されているので、この体験の直後にトレーナーへの道を歩んでいたわけではありませんが、本格的にウェイト・トレーニングの修得に励みました。

田内敏男さん

満員電車に乗って会社に行きたくなかった事が、トレーナーを目指した発端です。笑

当時の日本はアメリカナイズが進んでいました。文学部に入学したのも、日本的なものを学びたいと思ったからです。そんな中、学生職員として勤務をしていたのですが、同時にウェイト・トレーニングにも励んでいました。

朝起きて教育学部の学生職員として働き、夕方16時以降は文学部で授業を受けて・・・授業は体を休める為にほとんど寝ていましたが(笑)・・・その後、自宅と大学の間にあったジムでトレーニングをしていました。帰宅してからはトレーニングの本を読み漁り、我流でトレーニング方法を構築していきました。

「なりたいものがあった」というよりも、「なりたくないものがあった」という感じです。満員電車に乗って会社に通うサラリーマンにはなりたくなかったんです。サラリーマンは素晴らしい職業だけど、自分がなる覚悟は持てませんでした。体を鍛える事が好きだったから、そこをつきつめたいと思いました。

そして、筑波大学大学院修士課程体育研究科研究生へ入学。筑波大学大学院修士課程体育研究科コーチ学専攻へ入学と本格的にトレーナーへの道を歩み始めます。

田内さんは、その頃に学生結婚をしています。田内さんのお話を伺っていると、奥さんとはとても強い信頼関係で繋がっている事が分かります。

田内敏男さん

火事の経験をした時に「あ、結婚するのはこいつしかいないな」と奥さんの顔がパッと頭に浮かびました。小さい頃から知った仲。

その頃、カミさんは名古屋で幼稚園の先生をしていたのですが・・・大学院を出ても仕事の保証がなかった私によく付いて来てくれたと思っています。

私の事を「遅咲き」「大器晩成」とずっと言い続けてくれて、私の事を信じてくれました。

実際、お金や仕事に関しては絶対に大丈夫、と言えない状況も幾度となくあったそうですが、そんな時も奥さんと共に乗り越えてこられました。

田内さんが言うには、奥さんはスゴく運が良いのだそうです。

田内敏男さん

子ども達が海外に留学した際、私一人での稼ぎでは到底追いつけない状況だったのですが、そんな時にカミさんは高額な仕事を見つけて来てくれて助かりました。そういう運を持っている人なんです。

何かの間違いで通帳の残高が108円になった時には、天から降って来たかのように1000円札4枚が手元に舞い込みました。その4000円をすぐに寿司屋で使ってしまうのが私達らしいところ。明日の事は何とかなる、困った時にはお金は降って来るんですね。

また、私は不器用だからアルバイトや仕事をすると言っても、選択肢はそんなにありませんでした。でも、「書く仕事をしたいなあ」と思ったら本の執筆をする案件が来たり、「トレーニングの仕事はものになるかなあ」と思ったら相撲部屋からオファーが来たり。
そんな不思議なご縁が働くことが何度もありました。重量挙げの選手に対してウェイトトレーニングを専門で行う仕事はありましたけど、ウェイトトレーニングをスポーツに活かしていくって言うのは当時は珍しかったんです。

そんな素敵なご縁は、もしかしたら奥さんのパワーだったのかもしれません。

池田さんのイラストでは、力強い田内さんを包み込むように奥さんの姿があります。

池田良平さんが
田内さんのエネルギーを感じて
作成したイラスト ↓

池田さんのイラストに関して

このページは「200人の物語を紡ぐチャレンジ」に基づいて制作しています。
このチャレンジは、それぞれの方の物語を「文章」と「絵」と「音楽」で表現するもの。お一人お一人に1時間半~2時間ほどインタビューを行い、「人生」という「物語」を1つのページにギュッと凝縮しています。

イラストに関する池田さんのコメントは以下。

池田さん

田内さんの、全てを取り込むエネルギー、運やお金が田内さんの手の中で巡っていて、困った時にいつでも、何かが助けてくれる。
そして田内さんは、山のように、それらを俯瞰しているイメージです。
ただその田内さんを、奥さんが見守っています。

火事は生死を分けるような体験でしたが、そんな体験がもたらしてくれたものは、今もなお田内さんを支え続けています。

火事のせいで自棄になってしまい、全てを投げ捨てて、グレる場合もあるでしょう。しかし、田内さんは火事の体験からとても大切なものを選び取りました。

③祈る事を知った息子さんの白血病

2017年7月に息子さんの白血病が発覚し、入院をする事になりました。

田内敏男さん

家庭に笑いが消えた時期でした。夜になったらカミさんのタメ息が聞こえる。「白血病に関するネットの記事は読むな」と言っていましたが、やはり心配の思いから見てしまっていたのでしょう。
病気になる当事者はもちろん大変ですが、看病をする方も参ってしまいます。自分ごとじゃないので、不安や心配も大きくなります。

田内さんは気丈に息子さんのお話をされていましたが、実際の心の内は僕の予想できるものでは無いと思います。息子さんが白血病になるという体験を通して、田内さんは「感謝」の大切さを痛感しました。

田内敏男さん

息子が白血病になり、明日の命が分からない状況になりました。でも、明日の命、明後日の命、半年後の命・・・誰もそんな先の命を保証されて生きている人はいません。
だからこそ、今日を生きている「感謝」が大切なんだと感じました。朝は今日これからスタート出来る事への感謝。夜は今日1日を生きられた事への感謝。
座禅の師匠である庵那(あんな)禅師から伺ったところ、神仏の前でする事は「自分の事を祈る」という事ではなく、「感謝」と「お礼」だけなんだそうです。

その感覚って、今まで生きてきた中で、何となく実感としてはありました。自分が神様だったら、自分の事しか祈らない人を見ても「お前の都合の良い事を祈ってんだろ」って思うでしょう。

だから「人のことを祈る力」はとても大きい。「祈り」は対物交換ではありません。だから神仏の前では、ただ「感謝」をする。「感謝」の大切さと共に、自分以外への祈りはものすごく力があるという事を体感した出来事でした。

「祈り」というのは、「意乗り」だとも言われています。「意に乗る」。何の「意」に乗るのかと言うと、宇宙というか神というか、そんなとてつもなく大きいもの。全ての法則を運営しているものの「意」です。

重力という法則が働くから地球の中心へ引っ張られます。

その法則に抗おうとすると、とても大きなエネルギーを必要としますし、それを続けると苦しみを生みます。

全てを受け入れ、自分の全てを明け渡す事が最も意に乗れる状態、と言えます。それは自分の力にすがる事ではありません。自分以外の全てと調和をしていく事が必要です。

それが祈り。

田内敏男さん

「たいそうな病気になったらしいな」と病室に入ったら、息子は正座して「すみません、こんな姿になりました」と応えました。
「そんなのは良いから早く治せよ」と声を掛けましたが、息子のその言葉は全てを物語っていたように思います。
私には弱い姿は見せたくない、でも病気と分かった以上仕方がない。そんな息子の気持ちを察すると、平静を装う事が難しかったです。

病室は無菌室だったので誰でも入室できるわけではありませんでしたが、息子が入室を許可した方々を見て、本当に素敵な方々とご縁が繋がっている事が分かり、息子を見直しました。

私はマッサージやストレッチくらいしか息子に出来る事はありませんでしたが、それがきっかけで押上studioが誕生しました。求めている人が居ると分かったんです。

最終的には、もう一人の息子さんの骨髄を移植する事ができ、主治医の先生に「ある意味医学の常識を超えている」と言わしめるほど回復力が早く、入院した年の12月には退院。異例の早さでした。

 

が田内さんのお話を伺って感じたのは、とても良く喋るし、物凄くエネルギッシュな人生を歩んできているのですが、どこか静かな雰囲気があるということ。

1つ1つの濃すぎる体験から、何を感じ、味わい、そこから選び取る事がものすごくお上手な方。

田内さんの言葉にもありましたが、「みる」と言うのは色々な意味があります。

注意深く観察する事も「みる」だし、お世話をする事も「みる」、見守る事も「みる」。自分を内観することも「みる」。

「みる」という事は、意識を向ける事だと僕は思います。

助言を伝える事は非常にたやすいですが、ただ助言を伝えても意味がありません。結局、自分で気付かないと前には進まないからです。

また、問題が起こった時に、それを論理的に考えて誰かのせいにする事もあまり意味はないと思います。結局、その問題から自分が何を感じ取るのかを考えなければ、ただの出来事で終わってしまう。

だからこそ、「みる」という事は物凄く大切で、それは全ての存在を受け入れていなければ出来ない事だと思います。

田内さんは、この「みる」という行為の最適解を自然と選り別けていて、どんな時に、どのように「みる」のか、それを選択するのがとてもお上手なのだと思います。実践知が素晴らしい。

また、僕は意識を向ける事は、愛する事だと思います。

量子力学の研究では、人間が意識をしない限り、そこに対象が存在する確率は50%だと考えられています。つまり、僕たちが意識を向けて初めてそこに「在る」という状態が生まれる。

また、量子力学の研究では、人間の意識が物質や目に見えない領域に影響を及ぼすことが分かっています。

量子論

どの瞬間に、どのような意識を向けるのか。それが僕たちの現実の全て。

田内さんは、一見賑やかに見えたりもするけれど、静かに状況を見守り、何にどのような意識を向けるのかを楽しみ、未来へ想いを託そうとしているように感じます。

以下の田内さんの言葉は、それを表現したような言葉だと思います。

田内敏男さん

本は人一倍読む方でした。でも、ある時からピタッとやめたんです。
仕事柄、1つのスポーツに打ち込む選手たちと関わってきましたが、特殊な環境で勝負にずーっと生きている人たちがグラウンドという1つの場所で試合をしているのを見てた時に「ここに全てがある」と思ったんです。

例えば、野球の試合でショートの人がエラーをする。私はその選手とトレーニングを通じて普段から付き合っているわけです。
エラーをした姿を見て、本人はそんなつもりではなかったとしても、「油断してエラーしたな」と思ったりする。でも、結局自分の中にそれが全部ある。自分にあるものがそこに現れて、自分に見せてくれているだけ。

例えば、ワンアウト満塁でバッターボックスに立ったとする。そのタイミングでバッターボックスに立ったら皆打ちたいと思う訳です。でも、結果的にはゲッツ―してしまった。本人は泣いて悔しがる。それをだらしないと思うかどうか・・・。自分にも少なからず同じような部分がある訳です。
選手と入れ替わる訳ではないけど、自分の人生の中で同じような局面があった時に、確実に自分はヒットを打てるか。ゲッツーをしてしまう事だってあると思います。確率論的に言っても。たまたまそういう部分をその選手が見せてくれたと思ったらなじる気にはなれない。

そう思ったら、知識で書いてあるような自己啓発書は薄っぺらく見えてしまいました。そこからは、ものすごく本を選んで読むようになりました。

衝撃的な体験をして見え方が変わったとか言いますが、目の前で起こっている現象は同じです。自分の見え方、受け取り方が変わっただけ。見えているのに見てなかったものが見えるようになった。年齢を重ねてそういう部分が見えるようになりました。

経験がある人の方がない人よりも気付くのが早いと思います。

最強って何なのか・・・どこまで行っても上には上がいます。指導した選手の中でチャンピオンはずらーっと出ましたが、自分1人でどれだけ激しいトレーニングをしてもチャンピオンになれる訳ではありません。見ててくれる人がいて、練習が出来る場所があって、極論言うと自分に倒されるために試合に出てくれる人がいる訳で。

その相手が一番大事。一番鍛えてくれるのは自分を負かしてくれた人。負ける経験があるから勝つ経験がある。負けた経験を活かせないチームはダメなチーム。

スポーツは自分のやる気だけではピッチに立てない。チームを運営している方に評価をされないと試合に出ることが出来ません。選手たちは、ミスをして、上が使わないと判断をしたらいさぎよくユニフォームを脱いで去っていきます。普通の社会にはそんな事はない。

だから、一肌脱ごうと思うし、見ているだけですごく色んなものを与えてくれる場所だと思います。

先ほど、田内さんの「未来の構想」をお伝えしましたが、そこでは紹介しなかった田内さんがこれからやろうとしている事を2つ紹介して終わりにしたいと思います。

 

1つ目は、技法書を残すこと。

田内敏男さん

還暦を機に2017年の5月より太極拳を「伊与久大吾師範」に学び始めました。自分の体が整えば良いなあと健康を主として学び始めたのですが、素晴らしい師匠に出会い、技の奥深さを痛感しています。私の教え子にも、自分が亡き後も師匠に教えを請うように伝えています。
太極拳で学んだものも含めて、現場でのトレーニング知識の蓄積、またそれに付随する知識や体験を体系的にまとめようと思っています。
ただ、ノーベル賞の先陣争いみたいに競い合うのではなくて、自分が出来なかったら誰かがしてくれる・・・私がやった事が誰かのヒントになるかもしれないし。その為にも、私が体験し学んだ内容をまとめたいです。

 

2つ目は、自分よりも優れた弟子を育て上げること。

田内さんの向かって右隣が
次期代表取締役の鬼頭(現ストレングス工房代表)さん。

中央はプロボクシング
日本ヘビー級チャンピオンの上田選手。
その他は慶大野球部の選手たち(2021年3月卒業)。

田内敏男さん

自分より優れた弟子を育て上げるのが一流の師である」と言うのは、ドイツのマイスターの格言です。自分を越えていく弟子を育てる事が1つのやるべきことだと思っています。
後続の皆さんには忍耐ではなく、覚悟を持ってこの業界に入り、この業界を支えてほしい。そして将来に希望を持ってほしい。
また、「アイツのトレーニングを見てみたい、習ってみたい」と言う若い人が、是非現れて欲しいですね。すごく寂しいかもしれないけど、興味があります。
将棋の羽生さんは藤井さんの活躍によって、「自分が習う姿勢」で臨んでいます。そこからまたさらに将棋の幅を広げています。私もそうやって切磋琢磨をしたい。

道を突き詰めていくには、フランスで、ドイツで、アメリカなどで今どんなトレーニングが提供されているのかを知り、精通しながら、オリジナルな要素も入れつつ、それを融合して行く必要があります。だから、それほど簡単な事ではない。

あの二天一流の開祖、宮本武蔵ほど対戦相手の事を研究した人はいないらしいです。良いとか悪いではなくて、まず知らないと何も分からない。だから相手の事をすごく研究したらしいです。否定も肯定もない。自分が知らない事を相手がやっているのであれば、まずは知る。

その姿勢と同じように、「受け入れない」ではなく、まずは知り、受け入れ、精通し熟知していく。そして自分自身の要素を取り入れながら前に進んでいって欲しいですね。

 

とても長くなりましたが、以上が田内敏男という人物が、これまでに培ってきた事であり、未来に向かって歩もうとしている展望です。

田内敏男さん

税務的な事をしっかりやりながら、子ども3人くらいは育てられて、社会的にもこう言う事をやっていると認められている・・・トレーナー業界をそういう業界にしたい。裏返して言えば、今はどれも満たされていないのが現状です。

トレーナーがコミュニティを創り、助け合って行ける世界。最強が何を持って最強なのかは分からないけど、

  • 雇い主に対する交渉・法的なディフェンス
  • 収入の確保
  • トレーナーとしての存在を世間にも当事者同士にも認め合える

そんな自分の会社だけにはとどまらない、トレーナーの最強軍団をそろそろ日本も持たないといけない、と思っています。そんなトレーナーの、トレーナーによる、トレーナーの為の組織を構築できるように進んで行きたいです。

私の場合は、生き方が不器用なだけ。ワガママを通して、それを受け入れてくれた周りがいた。そして、今の仕事で生きざるをえなかった。

  • 何があってもこの仕事をする
  • 何があっても家族を守る

その覚悟を決めていました。覚悟さえあれば、忍耐が忍耐じゃなくなります。でも、そこだけで終わったら詰まらない、面白くない事を耐えてやってただけになってしまいます。それだけだと悲壮なもので終わっちゃう。

だから、将来に対する希望を持って欲しい。そして、今日、この仕事に生きる事に感謝する。

私自身、言った以上はやるしかない。覚悟と希望を持って、同時に感謝を忘れずに未来を歩んでいきたいと思ってます。

トレーナーの世界で、新たな扉を開き続ける田内敏男さん。僕たちが想像している以上に大きな事をしようとされています。

日本のスポーツ業界は、まだまださらに発展できる余地がある。今後のご活躍をご祈念しております。