純さん

今回は、人と人とを「繋ぐ」ことや、自身が興味を持った事を周囲に「発信する」ことで、より良い「循環」を作り上げ、自然と皆を次のステージへ誘い、背中を押して力を与える伊藤純一さんをご紹介します。

「発信する」というのは、ある意味「繋げる」という事。何も知らないご近所さんだと、まるでお互い存在しないかのようになってしまいますが、お互いに知り始めると醤油の貸し借りが始まります。

先日も初対面のご近所さんとすぐに仲良くなり、釣った魚をいただいたので、じゃあ一緒に食べましょう、と、自宅に招いてそこからご縁が繋がったそう。

ご縁を「繋げる」きっかけを作り出すのが伊藤さんのお役目。「場作り」や「空気作り」を大切にしています。

純さん

初対面同士の人が集まるイベントの時、いきなり内容の説明から入ると、ギクシャクしたままだったりします。その前に、それぞれ簡単な自己紹介と、例えば「一週間で一番良かったこと」を喋って、お互い承認し合うだけで少し打ち解け、明るい場が出来ますよね。

いかに主体的に参加してもらえる場を作るのかが重要だと思っています。誰かが作った場所に乗っかって参加してもらうだけでは、「1+1+1+1+・・・」に過ぎません。

もちろん、それも素晴らしいのですが、僕はどうせなら足し算ではなく、掛け算にしちゃいたい。一人一人の個性や特性を生かして、相乗効果で、より良いものを生み出したいです。

その為の場作りをしたい。まあ「1×1×1×1×・・・」だと1のままなので上手い表現募集中(笑)

純一さんが「繋ぐ」のは「空間」だけではありません。

純さん

今、お母さんが育児ノイローゼになってしまうケースがあります。お母さんへの負担やプレッシャーが非常に大きくなっているんです。

でも、戦前の子育ては必ずしも親がしていたわけではないんです。私のご先祖様を見ても、2代遡ると、10人兄弟は当たり前、3世代が一つ屋根の下で暮らしていた。その中で、まだ若い親は稼ぎ頭なので、働くのがメイン。人生経験豊富なおじいちゃんやおばあちゃんがメインで子供を見る、お兄ちゃん、お姉ちゃんが下の子を見る、また、ご近所さんも自分の子供のように面倒を見て、周囲の人が皆で子供を育てていました。

そのようにお互い様で助け合い、支え合う繋がりって素晴らしいなあと思います。

純一さんが繋ぎ合わせているのは「空間軸」と「時間軸」。

日本の戦前の文化って素晴らしいものがたくさんある。さらに精神性も高かった。戦争に対しても、日本は他国に恥じるようなことは一切していない。

それらの事実を紹介したり、あるいは世代を超えた和を生み出したり。2つの軸から立体的な空間が生まれるからこそ、雨も風もしのげる「温かい場」が出来ます。

そこには純一さんの世代を超えて受け継ぐDNAと、そこから形成されたリーダー観がありました。今回はそんな素敵な伊藤純一さんをご紹介します。

池田良平さんが
純一さんのエネルギーを感じて
作成したイラスト ↓

伊藤純一さん

池田さんのイラストに関して

このページは「200人の物語を紡ぐチャレンジ」に基づいて制作しています。
このチャレンジは、それぞれの方の物語を「文章」と「絵」と「音楽」で表現するもの。お一人お一人に1時間半~2時間ほどインタビューを行い、「人生」という「物語」を1つのページにギュッと凝縮しています。

イラストに関する池田さんのコメントは以下。

池田さん

船をゴールドにしました。みんな金の器を持っている。
純ちゃんがまだ金になりきれてない人々を、導くよう思いを込めてます。

伊藤純一さんの今の活動

伊藤純一さん

冒頭でだいぶ純一さんの魅力が伝わったと思いますが、一体何をされているのかと言うと、主な活動は以下の3つです。

  1. 大人が本気で学ぶ、遊ぶ、繋がる「探検団」
  2. その人の自然体、心を映す写真撮影
  3. 事業のオンラインサポート

簡単ではありますが、1つ1つの活動をご紹介させて頂きます。

大人が本気で学ぶ、遊ぶ、繋がる「探検団」

「探検団」と聞いて、ワクワクしない男子はいないと思うのですが・・・、純一さんがやっている「探検団」はまさに皆さんがイメージするような感じ。笑

「とにかく一歩を踏み出す」という事をテーマに、それぞれが既に趣味として行っている活動を皆で一緒にシェアしたり、まだ未開だけど興味を持っている分野に飛び込んで、とにかく一緒に楽しむ、という活動。

コンセプトは大人の本気の「学び」、「遊び」、そしてそれを通じた「繋がり」を創ること。

仲間と共に、一人では出来ない事や、普段はなかなか出来ないことをやってみよう!」。

2021年4月5日現在、352人のメンバーがいて、毎月アクティブな活動やオンラインでの飲み会の活動が続いています。

純さん

共通の目的を持ってると一気に仲良くなりますよね。戦後、人と人との繋がりが分断されていると感じています。その「繋がり」を少しでも作るきっかけとなれば良いなあ、と思っています。

また、自分1人では興味を持たないような場所に足を踏み出す1歩となれば良いと思って活動しています。

この「探検団」で重視しているのは、単なるワイワイ楽しい遊びではなく、学びや成長に繋げること。同じ楽しいでも、達成感だったり、成長した実感だったり。

その中でも、日本人の正しい歴史や、魂や誇りを知るのってすごく大切な事だと思っています。でも、「歴史」や「先祖」というワードは、刺さらない人には刺さらないし、人によっては「右翼だ!」みたいな捉え方をする人もいた。けれど、日本人が日本が好き、日本に誇りを持つ。

それって、右でも左でもなく、ど真ん中でしょ!?と自信を持って言いたいし、伝えていきたい。

純一さんが運営してる探検団は、「空間軸」と「時間軸」での繋がりを作る場を目指しています。

軸2つ

純さん

「探検団」の活動の中で実際に、靖国神社の参拝と共に、遊就館という併設の歴史の資料館にも寄って、そこでの学びをシェア、語り合ったり、出雲大社の神主さんと繋がりが出来て、お話会を開催したり、家系図を作って親祖先を知り、学ぼうという活動もしています。

そして、繋がりが広がり、最終的には日本中に友人がいて、友人の家を泊まり歩きながら日本一周をするのが夢の1つです。「どこに行きたい」と言うよりも「誰に会いたい」というのがモチベーション。それってすごく豊かな事ですよね。
だって、コンビニで買ったガイドブックに載っている内容よりも、現地の人が連れてってくれるお店の方が確実ですからね。

ちなみに現在、探検団は無料のワクワク探検団と、有料の本気の探検団があります。

本気の探検団は、本気で人生をより良くしたい仲間同士が、安心安全かつ、本音で語りながら、イベントを企画したり、自分のビジネスを創り出して行ったり、と自分の人生を切り拓く仲間の集まりです。

昔から、ただ参加するより、運営側に回りたい、企画したり、飲み会の幹事やったりは大好きでした。

本気の探検団は、よりアクティブに自分から価値を創り出して、提供、運営して行こう〜という前向きな仲間の集まりになっています。

そして、みんな人生に本気なだけ、より深い繋がり、関わりになっているので、興味ある方はぜひ探検団グループに参加か、 Facebookで私までコメントくださいませ〜♪

→ 伊藤さんのFacebookアカウント

→ 探検団のページ

その人の自然体、心を写す写真撮影

純一さんは複業として色んな活動をしているのですが、その1つに「写真撮影」があります。

僕も実際に
撮影して頂きました!

清水大輝

純さん

北海道に行く機会があったので、大輝さんに連絡して、居酒屋で語り合いました。こんなのも夢の一環ですねwちょっとした旅行や出張の合間に、仲間に会えることも、めっちゃ幸せです。

プロフ撮影は別途させてもらいたいけど、大輝さんのふとした横顔がめっちゃセクシーで、思わず撮っちゃいました。

カメラを構えた瞬間、純一さんの雰囲気がガラッと変わったのが印象的でした。お酒で寄っていたという事もあり、色気があったように感じます。笑

純さん

父がソニーの社員だったので、まだビデオカメラがあまり普及していなかった時代に高価な機材が身近にある生活を送っていました。

機材はまだかなりの大きさがあった時代だったので、運動会とかでビデオカメラを構えている父親は正直恥ずかしかったけど、今思うと有難い。そういう映像残っているのが嬉しいですね。

家族写真が家庭の中にあると、家族を繋げるツールにもなりますからね。

基本的にどんな写真でも相談次第で撮影してくれると思いますが、

  • 家族写真
  • その人を活かすプロフィール

の写真を撮影する機会が多いそうです。先日は結婚式での写真撮影を依頼され、式場専属のカメラマンとは一風変わったような写真を撮影されたそうです。

純さん

先日は、お世話になっている社長の息子さんが成人式を迎えるということで、出張撮影に行き、さらにはアルバムにしてプレゼントしたら、とっても喜んでくれました。

これが、息子さんが結婚した時、お子さんが出来て、その子が成人したときにも受け継がれていく、と思うと嬉しいですね。

プロフィール写真を撮影する際、キメキメに整えて撮影する事に価値を感じる人もいらっしゃると思いますが、僕はその人の自然体が出る写真を心がけています。

テクニックよりも被写体の人との信頼関係が大事。自然にいる状態、カメラマンは透明人間でいいと僕は考えています。

繋ぐ天才・純一さんだからこそのカメラの流儀。

「その人らしさ」というのは、最もその人が輝いている状態です。それって、ガッチガチに力を入れて頑張っている姿では無くて、実は力を抜いて全てをありのまま感じている姿。

余計な力が入っていると、疲れるし、なかなか上手くいかないもの。力が抜けたその一瞬を切り取る純一さんの写真が僕は大好きです

事業のオンライン化サポート

コロナ支援グループからご縁が繋がった宇田水産社長の宇田さんと

純一さんは飲食店やホテルなどの「飲食を提供するような場」のサポートをする活動をしています。

コロナによって飲食を提供していたお店には、たくさんの食材が余ってしまいました。また、飲食店に食材を卸している業者や農家も大変な在庫を抱える事に・・・。

でも、「いつもの取引先」がNGなだけで、実は食材を求めている場所は個人も含めるとたくさんあります。問題なのは「必要とする人」と「提供したい人」を結び付ける場所が無かった事。

そこで立ち上がったのが「コロナ支援グループ」。

全国版では36万人くらい加入していて、純一さんは静岡版の「コロナ支援グループ」を担当しています。現在、コロナ支援の静岡版は3200人程の方が加入し、そこでの在庫を通販で売ったり、直接店に買いに来てくれて、応援のメッセージまで伝えてくれる方もたくさんいたそうです。

「コロナ支援グループ」として活動をした純一さんには価値観を変える大きな学びがありました。

必ずしも「ボランティア」という形態は喜ばれる訳ではない、という事。

純さん

最初はボランティアとして活動していて、お店の方から言われる「ありがとう。」だけで良いし、たくさんの学びがあるので十分だと思っていました。(時には商品など、お土産を頂いてしまうこともありましたが) でもある時、「ボランティアだとビジネスとしては信用できない。

忙しくなって「明日から辞めます」と言われても何も言えない。」とお店の方に言われました。

無責任な気持ちでやっていた訳ではありませんでしたが、お金を頂く事は「責任を背負う」という事を周囲に表明する事でもあるんだな、と学びました。価値観が大きく変わった出来事でした。

また、廃棄されてしまうかもしれない在庫を捌くことは出来ましたが、コロナが長期化する中、ホテルや飲食店に卸していたり、高速バス、観光客に頼っていた生産者さんは、通常の売上を安定させることが課題でした。 そんな中、ボランティアではなく、キチンと自分に何か出来ることはないかと探していました。

そして、また様々なご縁から、五方良し(自分、相手、世間、繋ぎ手、未来良し)を企業理念に、通販やグルメ、ウェブチケットなどの総合オンライン化を使って、BtoBだけでなく、BtoCつまりは個人のお客さんにも拡げられるシステムに出会い、それらの導入サポートを行っています。

 

以上が現在の純一さんの主な活動。

全て「繋がり」を生み出す活動。これだけでも純一さんがどんな方なのかはお分かりいただけると思うのですが、今の考え方、行動の土台を作ったのは純一さんの過去にありました。

少しだけ、純一さんのストーリーを紹介します。



伊藤純一さんの物語

純さん

僕は自分の事を飽き性だと思っています。趣味が多く、1つの趣味をとことん突き詰める事は少ないです。スノーボード、バイク、車などの趣味は長いですが、でもプロ級かと言うとそうでもありません。
浅く広く色んなことをやって来ました。でも、それって僕の強みでもあって、色んなことに興味があって実践している分、人と繋がるツールが多いんです

そう語る純一さんを構成するのは、お父さんやそのまたお父さん(祖父)の要素が非常に濃く反映します。純一さん自身、家系図をひも解いて過去を探索した経験があるのですが、そこから自分の使命を強く認識されたそうです。

だからこそ、純一さんが考える「繋がり」には、目の前に広がる仲間との「繋がり」だけではなく、目には見えない時間を超越した「繋がり」が含まれています。

繋がりプロデューサー

では、純一さんの物語の時間を遡り、先祖とのお話を紹介します。

伊藤家3世代の物語

純一さんのお父さんはソニーの社員として働いていました。ビデオカメラなどの機材だけではなく、バイクも大好きなお父さんで、その姿に憧れた純一さんもまたバイクが大好きになりました。

バイク乗りに憧れるあまり、18歳の頃の純一少年は父親のバイクを借りました。そしてカーブを曲がり切れずに単独の事故を起こしてしまいました。

バイク

純さん

事故を起こしたとき、正直、めちゃくちゃ怒られると思ったんですが、「スグに病院に行け」と言われました。病院に行くと、肺に穴が空いていた事が分かったのですが、対処が早かったため命には支障がありませんでした。

その後も、バイクを好きな私の気持ちを汲んでくれたのか、1度も怒られることはありませんでした。

今振り返っても、子どもの気持ちが分かるイカした父親だったな、と思います。

純一さんの趣味は、お父さんから受け継いだものが多いです。本当に大好きなお父さんだったんだな、というのが様々なエピソードから垣間見れます。

しかし、そんな大好きなお父さんが脳の病気で倒れ、一息つく間もなく、あっという間に亡くなってしまいました。純一さんが21歳の頃。

亡くなったのは、純一さんがヤマハに就職が内定し、お父さんにその報告をした10日後のこと。

純さん

私の就職までを見届けることが、父の願い、使命だったのかな、と感じました。

父は症状が出ていないにも関わらず、亡くなる一週間前に突然、犬を買ってきました。その犬は母にピタッとくっ付いてひと時も離れず、夜も母親と一緒に布団の中で寝ていました。家族を大切にしてくれた父が母を心配して遺して行ったんだと思います。

お父さんから愛情以外にもたくさんのものを受け取った純一さん。お父さんが亡くなってから、伊藤家に関する話を初めて耳にしました。

その話と言うのは、祖父と父親の関係が途切れていた事。

純さん

様々な時代の背景から、祖父は父を残して夜逃げせざるを得ない状況に追い込まれてしまったそうです。その結果、父は買ったばかりの新居を売ることに・・・。そして、ついに祖父とは一度も会うことなく、父は他界してしまいました。

そんなエピソードを聞いた純一さんでしたが、スグにどうのこうのする訳ではなく時間は過ぎていきました。

それから20年以上経過した頃、倫理法人会に参加をしていた純一さんは親や先祖と繋がる重要性を学びました。そして戸籍謄本を遡り、家系図を作成。

家系図

その時、祖母がまだご存命である事を知ります

純さん

年齢的には生きていても不思議ではないのですが、関係性が全くなかったので、まだ元気に生きていることを知った時は驚きました。子孫なので現住所も調べられた為、その住所に突撃をしてみました。

ピンポンを押して出てきたお婆さんに「清彦の息子の純一です」と伝えると、10秒くらい固まっていました。

そこからは僕の事を受け入れてくれて、止まっていた時間が進みだしたかのようにブワ~っと当時の事を語ってくれました。父は「やられた側」で辛かったと思いますが、祖父母は「してしまった側」の罪の意識で苦しみ、辛かった事も分かりました。

そして、祖父が人を集めて学生運動をしたり、組合を作って様々な活動をしていた事を聞かされました。

祖父の話を聞いた時、純一さんはちょうど自動車業界を変えるべく自動車総連に籍を置いていた時期でした。

純さん

皆さんもご存じの通り、家電業界は海外からの買収など、日本の家電はほとんど残っていないような状態です。まだ自動車業界はそこまでの状況にはなっておらず、日本の強みもありますが、電動化や自動化の波の中、このまま手をこまねいていては、家電業界と同じようになるのは目に見えています。

 そんな中で、国内で争っている場合では無い、オールジャパンでやっていかないと未来がない、と常々語っていたところ、自動車総連へのオファーをいただき、3年間働かせていただきました。

 自分がやっている活動と、祖父がやっていた活動がリンクして不思議な感覚でした

おじいちゃんの様に、「繋がり」を作って新たな時代や流れを創ろうとする姿と、お父さんの様にたくさんの趣味を持ち、身近にいる人を愛するイカした姿を足すと、純一さんの姿が映し出されます。

純一さん

「先祖がいる」というのは、当たり前の事ではあるのですが、その当たり前の事に感謝をする事をついつい忘れてしまいます。純一さんの時を超えた繋がりは、僕たちに大切な事を思い出せてくれるように思います。

大切な学び

先祖が繋いできたリレーのバトンを受け取り、そして、見事にその使命を全うしようとしている純一さん。お父さんやおじいさん以外にも、大切な学びを提供してくれた人や繋がりが2つありました。

それは以下の2つです。

  1. 「人を活かす」というリーダー像を教えてくれたヤマハの先輩
  2. 「法則に沿った生き方」を教えてくれた倫理法人会

純一さんは、たくさんの繋がりを生み出す活動を積極的に行っていますが、その「繋がり」は「外側」だけではなく「内側」にも向けられています。

それは「自分自身との繋がり」

自分自身と繋がるという事は、心と身体が一致しているという事。上記2つの体験は、その大切さを教えてくれるような体験のように感じます。

 

以上が純一さんの人生の中で大きなターニングポイントを作ってくれた要素です。「繋がり」を作り出すお役目がある純一さんにとって、全てが必要となる体験でした。

最後に、そんな純一さんの「これから」をご紹介したいのですが、その前に松本曹史さんが制作した「伊藤純一さんのテーマソング」をご紹介します。

松本曹史さんが
純一さんのエネルギーを感じて
作成したテーマソング ↓

松本曹史さんの楽曲に関して

このページは「200人の物語を紡ぐチャレンジ」に基づいて制作しています。
このチャレンジは、それぞれの方の物語を「文章」と「絵」と「音楽」で表現するもの。お一人お一人に1時間半~2時間ほどインタビューを行い、「人生」という「物語」を1つのページにギュッと凝縮しています。

松本さんのコメントは以下↓

草史さん

伊藤さんからは「日本をより良くしたい、戦後失われてしまった日本独自の文化を取り戻したい」という想いを強く感じて、その中でも特に人と人との繋がりをより強くしたいという想いを感じたので、そこに絞って曲にしました。

伊藤純一さんのこれから

この記事を執筆している時期に、純一さんには大きな気付きが2つありました。

純さん

1つ目の気付きは「有言実行」に関して。
今までは「有言実行」という言葉に対して、言ったらやらないといけない・・・というネガティブなイメージが強かったのですが、今は「発言をすれば仲間が集まる」というイメージに変わりました。

でも、ただ単に「やりまーす!」と言うだけでは無くて、そこには理由が必要。「志や想い」を発信するという事が大切。そうしたら、ご縁が自然と繋がったり、紹介頂けたりと、仲間が自然と広がっていきます。

偶然に見えるようなその繋がりは、発信すればするほど、どんどんご縁を引き寄せていきます。自分が動いていくと、そういう人に出会う。「発信しながら動く」。「志の発信」と「行動」を重ねるとご縁が繋がって、夢が叶っていくんだと実感しています。

純さん

2つ目の気付きは「時間は未来から流れている」という事。
「決めたら叶う」ではない「決めたら来る」という感覚。だらだらして決めないと、流れていきます。

10点のしょぼい結果にするか、100点満点にするかは自分次第、準備次第。

「準備で来たらミーティングしよう」ではなく、「この日に会議をやる!」と決める。その時点では資料は何も出来ていないとしても、準備はそこからでOK。準備が間に合わなかったら「ごめんなさい、今日は議題考えるところから」という日にしてい良いよね。

まずは遊びから。

そして、人を繋げながら、ご縁を繋げながら、どんどん自分の夢を、皆の夢を実現していくのが純一さんの使命。

探検団

純さん

探検団を共に立ち上げた仲間のうさちゃんとも話をしていて、「自殺を無くす」ではなくて、「自殺なんて考えようもないワクワクした繋がりや希望に溢れた世界」を作りたいです。

 「私は命を懸けてこれ1つやってく~!!!!」もいいし、全てが繋がっているので、人の力を借りながら皆で叶えていく!

 探検団の使命は「1人1人が輝き、繋がり、愛溢れる世界を拡げていく」こと。

色んな学びをして、皆が自分の使命を見つけてワクワクする世界へ。

今までは「日本の歴史を伝えないと!」と言う感じで焦っていたけど、今はそれも1つの手段でしかないと思っています。手段はあんまりこだわっていない、全部繋がっている。やれることは全部やりたいし、せっかくの人生、たくさんの経験をしたい。

 そんな仲間は、認め合い、信じ合い、愛し合い、愛が溢れる世界へ。

 今後もそんな志を胸に活動を続けていきます。

今はまだ深くはお伝え出来ませんが、純一さんはより大きなものを実現する為に動きだしています。今後、どのような動きになるのか、是非ご注目下さい!